堀江 宗正 教授
HORIE Norichika
日本人の死生観:私は現在は死生学者を名乗っていますが、元々は宗教学が出身です。博士論文では宗教心理学の理論研究をおこないました。その後、大学で教えるようになってからは、学生の関心に合わせて、より実際的な研究対象を求め、現代日本の個人的スピリチュアリティを研究するようになりました。これは、いわゆる教団を持つ「宗教」に属さないけれど、何かスピリチュアルなものに興味がある人々の形成する文化的な現象です。彼らは死後の生命を前提にしていることが多いので、やがてその死後観に興味を持つようにもなりました。それがちょうど東大で死生学が学問的に論じられるようになった時期と重なりました。東大に着任してからは、日本人の死生観に関するアンケート調査をおこなっています。また、東北地方の津波被災地での霊的体験に関するインタビュー調査などもおこないました。
サステイナビリティと環境倫理:それとは別に、東大着任後、「Sustainabilityと人文知」という研究プロジェクトにも関わるようになりました。サステイナビリティとは、自然環境が維持できる範囲で経済活動は持続できるという考え方です。実は、自分自身が生まれ育って現在も暮らしている地域は、近代日本初の公害である足尾銅山鉱毒事件の被害地です。当時の政府は、被害地から人を追い出せば問題は解決すると考えました。そこで被害民と一緒に村の強制破壊に抵抗した田中正造の思想に関心を持つようになりました。福島第一原子力発電所事故の後に、田中正造の思想は再評価され、地元周辺で盛んに研究会やシンポジウムが開かれました。そこには、研究者ではない普通の人々が毎回一〇〇人ほど集まることに驚かされました。それらに参加すると同時に、環境倫理を勉強し、また授業の中で教えるようにもなりました。
〈いのち〉という概念の広まり:二つの研究テーマに共通するのは、個のいのちを超えて、個のいのちを成り立たせている「大いなる〈いのち〉への眼差し」とまとめられます。それが死生学では死後の問題につながり、環境倫理では自然のサステイナビリティにつながります。それは、生命倫理の分野でも、安楽死や人体の利用やクローン技術などを考える参照点になりえます。このような意味での〈いのち〉という概念への注目は、21世紀に入ってから様々な宗教の間で顕著に見られます。同時に、生命倫理や環境倫理の問題は、何千年も前に発生した宗教の教祖が知るはずはありません。これらは、現代の生活者の中から立ち上がる倫理からかけ離れたものであってはなりません。死者との関係、自然との関係、技術との関係など、専門家だけでなく、普通に生きている人々も真剣に考えています。今ではそれがSNSなどを通して盛んに議論されています。もちろん、そのなかには政治的な情報工作もあれば、フェイクニュースや陰謀論も混ざっています。こうした玉石混淆の情報が、宗教やスピリチュアリティとどのように連動して、今後展開されるかということにも、宗教理論の観点から興味を持っています。
今を生きる人のための死生学:よく「先生は色々なことを研究していますね」と言われます。基本的に、いま社会のなかで起きているホットな話題に興味をひかれるということがあるのだと思います。近年だと、新型コロナウイルス感染症、カルトとスピリチュアリティ、サステイナビリティなどですね。しかし、飽きっぽいということはなく、昔研究していたことは今でも関心を持ち続けています。また、すぐに新しいものに飛びつくということはなく、けっこう時間をかけて調査や準備をしています。今を生きている人たちがぶつかる様々な問題について、それがとても切実なのに、まだきちんと学問的に論じられていないと、義侠心に燃えて取り組むという感じです。その基礎にあるのは、古典的な人文知です。宗教学の大学院を受けるときには、東京大学出版会の『宗教学辞典』を一冊読むようにと先輩から言われましたが、その時に得た知識は、今でも考える際のベースになっています。事典(辞典)の知識はもちろん実地に見聞したことではないのですが、重要な教養になります。「教養」とは勉強しているときはいつ同役に立つか分からないけれど、後から「あれはこういうことだったのか」と確認できるようなものです。ですから、大学院を受ける人にも、死生学の分野での定評のある教科書と事典は丸々1冊読んで、試験に臨んでもらいたいと思います。そして、進学してからは、より的を絞った領域で古典とされる本を一通り読んでほしいです。同時に、「人文知」は常にパラダイム・シフトの起きている領域であり、そこでの常識は更新されています。最新の理論に関心を持つことは、先端を歩むべき研究者としてとても大事です。古典的な人文知と最新の学問的理論から、現代の死生問題を考えてゆくことが、自分の研究の一番の特色だと思いますが、大学院生にもそうした姿勢を身に付けてもらいたいと思います。
ダイバーシティを特徴とする研究室:まだ歴史の浅い研究室ですが、すでに在籍している大学院生の中には、学部を卒業してすぐに大学院に進んできた人だけでなく、様々なキャリアを経て進学した人がいます。その割合は、半分くらいと多く、他の研究室に比べると群を抜いています。したがって、年齢もまちまちです。年齢を理由に大学院進学を諦める必要はありません。日本人と留学生の割合も半々です。そして、比較的女性が多いと言えます。世代・国籍・ジェンダーにおけるダイバーシティが、死生学応用倫理研究室の特徴です。思わぬ角度からの意見が飛び交うエキサイティングな研究室だと言えます。ただ、「死生学」という枠は共通しているのですから、常に自分の個別のテーマと死生学の関連、特に理論や学説史を意識して研究をしていってもらいたいと思います。そうすることで、単に事実や特定の学説をまとめただけの論文ではなく、明確な問題意識とオリジナリティのある論文を仕上げることができるでしょう。
業績
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/people/people003221.html
鈴木 晃仁 教授
SUZUKI Akihito
1986年に東京大学の科学史科学哲学科を卒業し、1988年に東大大学院の地域文化研究の修士課程を修了しました。博士課程に進学後、1989年にロンドン大学 UCL (ユニヴァーシティ・コレッジ・ロンドン)のウェルカム医学史研究所に入学し、1992年に博士号を取得しました。主題は18世紀の精神医学における狂気の概念の検討、取り上げた地域は、イングランドを中心に、スコットランド、オランダ、フランスなどです。その後、博士取得後のフェローシップを頂き、ロンドンのウェルカム研究所、アバディーン大学、東京大学でPDの研究をつづけました。
教育を始めたのは、1997年に慶應義塾大学の経済学部の歴史の助教授として採用された時です。日吉では歴史とジェンダー論、三田では医学史を教えました。2005年に慶應で教授となり、2021年に東京大学の本郷キャンパスの人文社会系大学院の死生学応用倫理の教授として異動し、同時に駒場キャンパスの総合文化研究科の大学院の教授を兼担することになりました。教えているのは医学史になります。いずれも、医療、疾病、患者を軸にして、政治、経済、科学、実験、身体、ジェンダー、人種、環境など、医学と深い関係がある内容を教えてきました。フェローシップはこれまで20人の研究指導をしました。日本をはじめ、アメリカ、イギリス、フランス、シンガポールからのポスドクを受け入れており、多くの人々がテニュアな教職についています。
研究としては、これまでのイングランドとヨーロッパを中心にしたものから、日本を中心にして欧米も含むようにしています。2002年から現在まで、研究代表者としては、科研費基盤研究Aを3回、科研費基盤研究Cを2回、医学史の現代的意義を1回行いました。共同研究者としては、合計で8回参加しました。
https://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000080296730/
https://research-er.jp/researchers/view/264723
これらの研究は、そのほとんどを英語で発表しています。論文や書物の主題は、精神医療と感染症などを軸にすると同時に、身体、ジェンダー、人種、政治、文学などの多くの流れとどのように連関しているかを論じています。英語での業績などの一覧は、こちらをご覧ください。
https://u-tokyo.academia.edu/AkihitoSuzuki
死生学応用倫理の修士課程や博士課程で学びたいと思っている方々は、二つの点に心がけてください。一つは、授業においては英語が重視されるということです。英語で要約する課題が毎週必ず課されます。このトレーニングを通じて、大学院を修了して英語が専門家としてできるようになりますし、実際、慶應義塾大学や東京大学の学生たちは俊英ばかりであり、ほぼすべての学生や大学院生が、週一回のトレーニングで英語を書く能力が飛躍的に向上します。もう一つは、医学史が持っている領域の広さになります。医療者、疾病、患者の三者を軸にして、医学、科学、技術、実験、身体、ジェンダー、文学、人種、環境など、多くの主題をカバーしています。東大でも、文学部はもちろんのこと、経済学部、教育学部、医学部などの学生が学んでいます。ご相談がある場合には、30分ほどの面接を行うことができますので、email でご連絡してください。
業績
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/people/k0001_03742.html
研究プロジェクト
Death & Life Studies and Practical Ethics Lecture Series
井口 高志 准教授(社会学専門分野と兼務)
IGUCHI Takashi
専門は医療や福祉の社会学で、主に介護やケアと呼ばれる相互行為を中心に研究を行ってきました。最初は、家族社会学的な関心から、介護家族へのインタビューを行ったり、地域の介護者の会に参加し続ける調査を基盤とした研究から出発しました。その後、介護の現場において話題となることが多くなっていった認知症と呼ばれる現象に関心を持つようになり、医療化論や障害学研究などの影響を受けながら、認知症当事者の活動や社会における表象、日本社会における包摂と排除のプロセスなどに注目して研究を行っています。主に認知症に注目しているのは、社会学が暗黙に前提としてきた人間の「認知能力」に基づく社会を問い返す現象だと考えるためです。
死生学的なテーマとしてあえて言い直してみると、周囲からの何らかの助けが必要な生、衰えていく生、主流社会から逸脱・排除される生などに注目し、そうした生に対する、その当事者自身や、周りの人々のリアクションや集合的な活動について記述・分析してきたというように言えるでしょうか。私自身、人々の実存や生活そのものに関わる苦悩を知ることから出発し、それを社会関係の広がりの中で考えていくという研究プロセスを辿ってきましたが、こうした苦悩の相対化・文脈化は、研究そのものの面白さになっていることに加えて、当事者にとってもおそらく意味あることだと思います。ただし、その「意味」を今その苦悩を生きている人たちに「研究の世界」から伝えることは簡単なことではありません。そのため、私の研究領域には、自分自身の研究が提示する世界が現場の人の世界とどう相互影響をもたらすのかを考えていく難しさと、その裏返しの大きな魅力を有していると思います。それを「魅力」と考えられるかどうかは、人や場合によるのだと思いますが。私が参加している研究プロジェクトでの当事者を交えたディスカッションの場の研究プロセスへの組み込みや、研究者と当事者とが共に書くことを目指した雑誌媒体の刊行などは、そうした「相互影響」を具体的な形にしていく試みとも言えます。
近年、社会科学や人文学において、ケアの存在を前提とした社会のあり方を考えていくことが流行してきています。私の研究は、そうした議論に社会学の経験的研究からアプローチし、接点を見出そうとしていると言うことも可能かと思います。そうした意味では、社会学という経験的な方法に基づき対象にアプローチしていくことを基盤としつつも、規範的・理念的な問題を考える領域とも接点を持っていると言うこともできるかと思います。
業績
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/people/k0001_02154.html
冨澤 かな 准教授(宗教学宗教史学専門分野と兼務)
TOMIZAWA Kana
死とオリエンタリズム 私は宗教学を専門に、近代インドとその周辺を主なフィールドに、そして宗教と東洋と死を主要なテーマに、研究をしています。この三つのテーマはずいぶんばらばらなものに見えるかもしれませんが、ここに「オリエンタリズム」という要素を加えるとつながりが見えてくると考えています。これらはみな、特に近現代において、ある種の異物、他者として世界と日常から疎外されてきたものです。オリエンタリズムは西洋による東洋の疎外や支配を指すものとされますが、私たちの世界や思考をあらゆる側面にわたって広く分断する、だからやっかいで難しいものと捉えています。死もまた、この分断の対象として、しばしば世界の外側に追いやられてきました。確かに死と生の間にはある種の超えがたい壁もあります。でも、ほんとうは分かちがたく結びついてもいるはずです。そこに関心を持っています。
語りにくいものを考える 私個人にとっての死生学と応用倫理は、「語りにくいものを考える」ものです。「他者に近づく可能性を考える」ものと言い換えてもよいかもしれません。宗教と東洋と死に共通するのが、その他者性と、それゆえのある種の「語りにくさ」です。さらに、何かが「疎外され支配されてきた」とか「言葉を奪われてきた」と分析し、それを語ろうとすることは、その分断を乗り越え解消しようとする意図があっての分析や語りでありながら、その対象を再度「他者」や「異物」と同定する動きにもなってしまうというジレンマを抱えています。そこには他者を語り、他者と語ることの難しさがあります。そしてこの難しさは、人が生きていく上で、どうしても向かい合わなくてはならない普遍的な課題だと思っています。 死は、まさに「語りにくいもの」です。そもそもしっかり死んだことのある人がいないですし、死んだ人と触れ合い語り合うこともできません。しかしだからこそ、死を語り、死者と語る試みはさまざまに繰り返されてきました。死生学は、この語りえないものへの新たな語りの試みだと思います。
新たな場の模索 東京大学における死生学は、2002年からの二期にわたるCOEプログラム(2002-2006年度: 21世紀COE「死生学の構築」、2007-2011年度: グローバルCOE「死生学の展開と組織化」)で大きく展開しましたが、私はこの二期目に特任研究員として4年間加わっていました。このたび新たに死生学応用倫理研究室に連携教員として加わることになりましたが、10年以上を経て、この学問分野のあり方も大きく変わり、豊かに広がりつつあることと思います。新たに学んでいかなくてはと思っていますが、同時に、COEの時代に感じた「新たな場の模索」という性質は、きっと今も重要なものであろうと考えています。分野を超えて協働し、既存の理論や方法論を見直しながら、一つところにとどまらずに、多様な側面から人と社会と死と生の問題に取り組む場を、諸先生方と学生のみなさんとともに模索し、つくり続けていきたいと願っています。